ゴースト・オブ・マーズ
原題/Ghosts of Mars
公開/2001
奇才ジョン・カーペンター擁するSFホラーアクション。
『ゴースト・オブ・マーズ』をご紹介。
あらすじ
火星にへヴィメタ軍団が登場
主人公はナターシャ・ヘンストリッジ。
そう、あの『スピーシーズ 種の起源』でその魅惑の体を惜しげもなく披露したあの人である。
『マキシマム・リスク』でもジャン=クロード・ヴァン・ダムと濡れ場を披露したその人である。
↑この人。お世話になった中学生男子も多いはず。
↑左の人
そしてみんな大好きジェイソン・ステイサムのブレイク前の姿も拝めるぞ!
本作のストーリーはほとんどが主人公の回想シーンで進んでいく。
おそらく、というか間違いなく『マッド・マックス』の影響を大いに受けている。
奇抜な姿をしたゴースト(に憑りつかれた人たち)とか、缶を鉈で空けようと思ったら誤って自分の指を切り落としてしまい、仲間に爆笑されるシーンとかその影響が顕著に表れている。
↑ゴーストの親玉。満を持して登場するわけでもなく、急に天井から落ちてくる。
本作は囚人の護送に向かった警察たちがゴーストの軍団に襲われるという至ってシンプルなストーリーである。
一応ジャンルはホラーになっているが最大の見どころは主人公達vsゴースト軍団のアクションシーンだ。
生き残ることはできなかったがステイサムのアクションはこの頃から冴えわたっているしナターシャも急きょ抜擢された割にはなかなか見事なアクションシーンを演じている。さらにナターシャは一度ゴーストに憑りつかれかけるのだが、強固な意志とクスリ(ブッとぶ方)でそれをはねのける。ゴーストに憑りつかれまいと必死で抵抗するその表情は見事な白目向き。普段の彼女からは想像できないひどい顔である。
日本のタレントはよくSNSに変顔を載せているがその意図は「私かわいいのにこんなこともやっちゃうんだよ、好感度高いでしょ?」とか「変顔してるのに私こんなにかわいいんだよ」とか魂胆がバレバレである。
しかしナターシャはちがう。モデル出身の彼女だが、ゴーストの呪いと戦う勇敢な女戦士を魂の芝居で演じきった結果があの顔である。
もしこの記事を見てる人の中に変顔をアップしようとしている人がいたらその前に本作を見てほしい。きっと恥ずかしくて載せられなくなるだろうから。
話は本編に戻って、基本的に相手の武器はびゅんびゅん飛び回るフリスビーのような刃物だが、これの切れ味がなんともよくて腕は落ちるは首は刎ねるはで大盤振る舞いである。
死ぬ人物はもれなく体のどこかしらをスッパスッパと切り落とされていくのだがステイサムは明白な”死んだ”シーンが流れないのでこの頃からステイサムには“死なない男”のオーラをまとっており、カーペンターもそれを感じ取っていたのではないかと思わせる。
しかしここまで書いておいてまことに残念だがこの作品は“凡作”である。
ただそこはカーペンター監督、ただでは終わらせない。
本作の悪役、ゴースト軍団は人語を話さず、わけのわからないことを叫んでは松明を持って人間のいる場所へ怒鳴り込んでいく。
その姿にどこか既視感を覚えたと思ったらニュースでよく見る海外の大規模デモである。
自分たちの納得できないもの、自分たちにとって不都合なもの、自分たちにとって不愉快なものは容赦なくなぎ倒し、死人も出る。
一方で人間側も食い下がり、自分たちが正義、それ以外は悪と言わんばかりにゴーストたちを葬っていく。それも相手は原始的な武器、人間は銃火器を使ってだ。
これは現代社会の絶えることのない国民と政府の戦いを描いた作品なのでは?
しかもよく考えてみるとゴーストたちは元々自分たちが住んでいたところを奪われそうになったから人間たちに襲いかかっているというだけで、別に人類を滅亡させようとか思ってるわけではない。彼らの行動は当然のことなのである。
なぜ人間が火星に移住することになったかは明らかにされていないが、時は2176年。大方自然破壊・地球温暖化が進み、環境が破壊されて移住せざるを得なくなったのだろう。
そう考えると、勝手に地球を住めなくして、勝手に火星に移り住むことにして、あげくの果てに原住民を殺していくというのは完全に人間のエゴである。
本作はそんな人間のエゴを暗喩している風刺映画なのではないだろうか。
と、こんな感じで単なるホラー映画として見ずに本作を評価してみたが、これを見てあなたは何を考えるだろうか。
少しは映画の見方が変わるだろうか。
単なる娯楽アクション・ホラーにもこんな社会性が隠れているのかと感心しただろうか。
こじつけだと思っただろうか。
もちろんこんな見方をおすすめするわけでも押し付けるわけでもない。
ただこういう見方をすることでより映画の楽しみ方も豊かになるし、もっと多くの作品に触れてみたくなる。
駄作だと思っていた作品が見直してみると傑作に思えるかもしれない。
見るならやっぱりおもしろい映画の方がいいでしょう。
本作の監督はジョン・カーペンター。
彼なら狙わなかったとは言い切れない。
グロ★★☆☆☆
怖さ★☆☆☆☆
アクション★★★☆☆
総合評価/45点
ゾンビ
公開/1978
今回紹介する作品はこれ!
ゾンビの原点にして頂天、タイトルズバリ『ゾンビ』
「ゾンビ映画の最高傑作は?」
と聞かれて
『バイオハザード』と答えるのは純粋な人
『REC』と答えるのはニワカ
『28日後...』と答えるのはあたかもこの作品を発掘したのは自分だと言いたげな痛いヤツ(実際『28日後...』はドメジャー)
『ゾンビランド』と答えるのはミーハー
『ゾンビ』を見てこの作品を最高傑作と言わない人間はいない。いや、最高傑作と言わざるを得ない。だって超おもしろいから。
あらすじ
ゾンビの勢力は瞬く間に広がり、今や世界中がゾンビだらけ。そんな中、主人公たちは巨大ショッピングモールに立てこもるのであった...
さて、昨今のゾンビといえば身体中が腐って顔はぐちゃぐちゃ、目は血走った強烈なビジュアルな物が定着してきているが本作のゾンビはというと、
こんな感じ。
どう見ても顔色の悪いチベットの坊さんである。
そう、この作品にはぐちゃぐちゃゾンビはほとんど登場しない。服をボロボロにして顔色をちょっと悪くすればもうゾンビの出来上がりなのだ。
金をかけずともいい映画は撮れる、ということを教えてくれる好例である。
本作は言うまでもなく大ヒットし、今でも世界中に熱狂的なファンが数多存在する作品だが私はこの作品がなぜおもしろいかが長年分からなかった。
確かにおもしろいのだ。しかしなぜおもしろいかが分からない。このジレンマを高橋ヨシキ氏が解消してくれたので以下氏の解説を紹介する。
「ゾンビはクラシックモンスターの中でも労働者階級のモンスターなんですよ。狼男は大富豪の息子だしジキル博士や透明人間は天才科学者。大アマゾンの半魚人は自然界の崇高な生き物だしドラキュラは貴族の息子で処女の生き血しか吸わないとか贅沢ばっか言ってるんですよ(笑)でもゾンビはちがう。誰でも平等に噛んでくれるし誰でもなれる。しかもクラシックモンスターは大概1人(1匹)しかいない固有のものですが、ゾンビはたくさんいる上に“普通の人”なんです。」
また、こうも語っている。
「この作品で言えることは“ゾンビと、生きてる人間はあまり変わらない”ということ。劇中でゾンビはなぜショッピングモールを目指すかという説明がありますが、生前の微かな記憶を頼りにゾンビは行動しているんです。生きてる頃のことがぼんやりと頭にあって、自分が行ったことのあるような場所を目指す。だからショッピングモールに行くんです。人間を襲うためとかそういう理由ではなく。それって生きてる人間も同じだと思うんですよ。だって人間だって用もなくショッピングモールにぶらぶらしに行くでしょう?しかも遠目から見たらゾンビと人間の区別がつかない。だからゾンビと生きてる人間はあまり変わらないんです。」
まさに目から鱗である。
ゾンビは大量にいるし普通の人。特別なものではない。だからこんなにおもしろいんだ。いつ自分がそうなってもおかしくない。その緊張感がゾンビを傑作たらしめているんだ。
高橋ヨシキ氏のおかげで長年の謎が解けたところで批評に戻ろう。
本作の魅力はもうひとつあると思う。
それは誰もが一度は想像したことがあるであろう、“大型ショッピングモールを貸し切りにできる”ことである。
いや、本作では貸し切りどころか“自分たちの物”にしている。
毛皮のコートもダイヤの指輪もライフルもテレビも全てが自分のものである。作中でもゾンビを掻い潜って店内に新入できた軍人2人は年甲斐もなくはしゃいでいる。
ここで、見ている人は誰もが身近なショッピングモールを思い浮かべて「自分だったらあの店でこうするなあ」と想像するのである。
そして今度そのショッピングモールに行くとき、
「もしゾンビが現れたらここに逃げ込もう。いやでも同じ考えも持つ人は大勢いるだろうし独り占めできないのは嫌だな・・・」
と考えるのは仕方のないことである。
自分たちのショッピングモールを楽しむ様子はリメイク版の、『ドーン・オブ・ザ・デッド』のほうがより丁寧に描かれている。こちらもいずれ紹介するが傑作なので是非見てもらいたい一作だ。
さて、人間にとって愛情とは実に大切なものだがゾンビには通用しない。愛情が深いほどその人がゾンビになったときに引き金を引く指を迷わせる。
ゾンビが現れたときはこの映画を思い出して愛情なんてクソ食らえと言わんばかりにゾンビをなぎ倒していってほしい。
たまに「愛する人に食われるなら本望だ」とかっこいいことを言う人がいるが、生き延びたい側にとってはゾンビが増えるだけの迷惑極まりない行為なので死ぬなら普通に死んでほしい。
↑「演技はダメだがゾンビの演技は天下一品」と評価されたヘリ坊やことデビット・エンゲ
↑特殊メイク界の超大御所、トム・サヴィーニ直々に鉈で切りつけられたゾンビ界屈指の名誉を受けたマチェーテゾンビ
グロ度 ★★★☆☆
絶望感 ★★★★☆
怖さ★★★☆☆
革命★★★★★
ゾンビ ★★★★★
総合評価/90点
死霊館
原題/The Conjuring
公開/2013
「この作品は傑作である」
私は声を大にして言いたい。
知り合い中に言いふらしたい(てか言いふらしてる)
なのに見てくれる人がいまいち少ないのでここで改めて紹介しようと選んだのである。
あらすじ
引っ越したら幽霊屋敷だったンゴ
この作品と出会ったのは1年ほど前。
当時ビンボー暇なしだった私はツ〇ヤで旧作レンタル100円を漁る日々だった。
しかし、ふと準新作の棚で足を止めた。最近話題になっている比較的新しい作品だ。
その中で私はこの死霊館を手に取った。
正直私は漢字の入る邦題がどうも苦手で最初は借りる気などさらさらなかったのだ。
だって『The Texas Chainsaw Massacre』 を『悪魔のいけにえ』とか『Evil Dead』を『死霊のはらわた』とか意味わかんないでしょ。(どっちも大ヒットしたからいいけど)
あと最近では
『バットマンVSスーパーマン ジャスティスの誕生』
ダ・・・ダセェ・・・
なんだジャスティスの誕生って。英単語の意味知りたての中学生かはたまた意識高い系の大学生が使いたがる横文字か。
だったら全部日本語で「正義の誕生」のほうがまだマシだ。
ちなみに原題は
『Batman v Superman:Dawn of Justice』
直訳すると『バットマンvスーパーマン:正義の夜明け』
か・・・かっけえ・・・
なんだ正義の夜明けって。かっこよすぎる。
だいぶ話がそれたがそんなわけで私は漢字入りの洋画が苦手だ。
しかし「食わず嫌いはよくないな」てなわけで何の気なしに借りてみた。
しかも準新作で350円もした(安)
それが逆によかったのかもしれない。見たかったから借りたわけではないので変な予備知識もなかったし期待もしてなかった。
それがなんだ。
序盤から畳み掛ける心霊現象。じわじわと家族を蝕んでいく悪魔。グロなしで味わえる底なしの恐怖。カメラワーク・音響の使い方、主軸じゃないのに超怖いアナベルの椅子のシーン。斬新なシーツの使い方。頼れるウォーレン夫妻。家族の愛。ホラーファン垂涎もののオマージュ。どれを取っても傑作としか言いようがなかった。
↑かくれんぼのシーンは予告編でも使われた。
↑一番グロくてもせいぜいこんなもん
これを見終わった後、私は思った。
「こんな作品がこの世にあったとは。そして今後もこんな作品が生まれる可能性があるとは。ホラー映画ってこんなすげえんだ。」
この作品はニューウェーブホラー監督筆頭、ジェームズ・ワンがメガホンを取っている。
詳しくない人には『ソウ』や『インシディアス』の監督といえばピンとくるだろう。
ストーリーは一応実話に基づいており、劇中のアナベルも実在する。
↑実際のアナベル。怖いような怖くないような・・・
この作品のすごいところは先にも書いたがグロテスクなシーンがほぼないという点である。
最近のホラーはやはり映像技術が発展してきたこともあり、よりリアルに、よりグロテスクに撮ることが監督の手腕だという傾向にある。
『マーターズ』や『ホステル』なんかはその代表格だ。
確かにそれも一理あるのだがそこに重点を置きすぎると内容がおざなりになってしまいがちだ(それを楽しむだけの作品も多々あるので悪いことではない)
ただ最近はそんな作品が増えすぎたと思う。『ハイテンション』とか『ソウ』の後半シリーズとかね。
時代の流行に逆らってなおかつおもしろい。それがこの作品の魅力だ。
そしてもう一つはホラーファンならにやけずにはいられない、有名作品のオマージュの数々。
衣装ダンスから飛び降りるババアは『スペル』、悪霊にぶっ飛ばされて後ろから棚が倒れ掛かってくるのは『死霊のはらわた』とワン監督のホラー映画への愛がにじみ出ている。
ちなみに本作を初めて見たのはDVDだがその後ちゃんと劇場で見ている。今年の7月『死霊館 エンフィールド事件』公開の前夜祭として1と2が同時上映されたのでそのイベントに参加した。なんと高橋ヨシキ氏のトークショー付きだ。
↑映画ライター高橋ヨシキ氏。映画を語らせたら日本一。
初めてホラー映画で怖すぎて泣きそうになった。目を背けたくなった。一回見てるのに。あとおもしろすぎて感動して何度か泣きそうになった。
そんな本作はまだまだ語ることが山ほどあるが、それは続編の『死霊館 エンフィールド事件』の紹介に譲るとしよう・・・
おすすめの見方はカップルで見るのもよし、友達ときゃっきゃと見るのもよし。万能な作品である。
だがやはり大画面で夜一人で電気を消し、廊下側のドアを開けっ放しにして”大音量”でしっかり見てほしい。
あなたもきっとこの作品の持つ魔力に引き込まれるだろう・・・
グロ ★☆☆☆☆
怖さ ★★★★★
笑い ★★☆☆☆
家族愛★★★★☆
演技★★★★☆
総合評価/90点
最”恐?!”絶叫計画
原題/STAN HELSING
公開/2009(未)
「2作目がこれかよ!」と突っ込まれそうなチョイスだがはっきり言おう!
俺は最終絶叫計画シリーズが大好きだ!
『最終絶叫計画』の監督、ボー・ゼンガ
レスリー・ニールセン、ケン・カーシンガー主演と微妙に豪華。
あとヒロインがなかなかかわいくていいなーと思っていたら
『テキサスチェーンソー ビギニング』のディオラ・ベアードだった。
↑インディアンコスチュームもgood
このシリーズを知らない人のために説明すると、
世に存在する有名作品をひたすらパロディし、下品なコメディをトッピングした夢のような作品である。
そして本作の楽しみ方といえば何も考えずにただ下ネタをみてゲラゲラ笑うか何の作品をパロディしているかを見つけるという、要は箸休め作品である。
本作に込められた社会的メッセージなどない。一切ない。
『エイリアン』が女性社会進出を示唆する内容だとか、『光る眼』がアメリカ共産主義の恐怖を描いたとかそんなものない。
暇な時間に肩の力を抜いて見れるのが本作の魅力である。(一応シリーズを通して黒人差別には言及するがそれは単なるネタ振りに過ぎない)
あらすじ
テキトー男、スタンとその仲間たちが深夜に迷い込んだ街は怪物たちが蔓延る恐怖の街だった!
まずジャケット写真だけでいくつの作品をパロディしているか探してみよう。
まず左は『エルム街の悪夢』のフレディ
その右が『悪魔のいけにえ』のレザーフェイス
その上の顔にいろいろ刺さってるのが『ヘルレイザー』のピンヘッド
上で飛んでるのがスーパーマン
月に浮かぶ影はE.T
いちばん右のホッケーマスクは『13日の金曜日』のジェイソン
その手前は『ハロウィン』のマイケル
主人公の股に挟まってるのが『チャイルドプレイ』のチャッキー
主人公スタン・ヘルシングは『ヴァン・ヘルシング』
なんとジャケットだけで9作品。もちろん本編ではさらにいろいろな作品をパロディしている。
こんな感じで映画を見ていくと「あ、これはあの作品のパロディだな」と映画好きにはたまらない、思わずにやにやしてしまうシーンがわんさかある。
↑『ヴァン・ヘルシング』の吸血三姉妹とか
↑ホラー映画界のスターが勢ぞろい
ここまで書いていると安っぽさしかない作品に見えるが一応往年のコメディ俳優レスリー・ニールセンが出ている。
主人公たちの演技に慣れ始めたころに急に現れるので彼のコメディ役としての演技がいかに優れているかがよくわかる。
本当に素晴らしい演技を見せてくれるのでそれだけでも一見の価値あり!
↑レスリー・ニールセン。2010年死没。ご冥福をお祈りします。
もう一つの見どころはジェイソンのパロディ役が実際にジェイソンを演じたケン・カーシンガーだということ。
こういう作品を超えたパロディはわくわくしてしまう。
元祖レザーフェイス役のガンナー・ハンセンが『モスキート』でチェーンソーを振り回しながら「これを持つのは20年ぶりだぜ!」と叫ぶシーンとかたまらないね!
↑『フレディVSジェイソン』のケン・カーシンガー
↑本作のケン・カーシンガー。ってどっちも顔見えないやないかい!
しかしジェイソン独特のたたずまいと首の傾げ方はさすが本物。
絶叫計画にしては勢いが少し物足りないのと、せっかくホラー界のスパースターが集まった(?)のにちょっとおとなしいのが残念だった(最終絶叫計画もコメディだが一応殺人鬼らしく、首ちょんぱとかやってくれていた)がなんせこんな映画だからつまらなくても問題ない。映画好きならシリーズ通して見てみよう!
この作品を見るときは家族とは見ないほうがいい。
さもなくば1週間は顔を合わせたくなくなるだろう。
気の置けない友達とワイワイ見るか映画好き同士でパロディ探し合戦でもするのが一番面白いと思う。
あと普通の人は一生見なくても支障はないです。
グロ度★★☆☆☆
怖さ☆☆☆☆☆
笑い★★☆☆☆
下品★★★☆☆
見なくていい★★★★☆
総合評価/40点
ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド
原題/Night of the Living Dead
公開/1968(未)
別に今さら私が紹介するまでもないのだがやはり記念すべき1つ目の映画はこれで決まりだろう。
モダンゾンビの父、ジョージ・A・ロメロのゾンビデビュー作、『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』である。
あらすじ
ジョニーとバーバラが父の墓参り中にゾンビに出会ってさあ大変。
↑だぁ
この作品の歴史的意義とはなんといっても“モダンゾンビ像を確立させた”ことである。
ゾンビとは知性がなく、ゆっくり歩いて人を食らい、噛まれた人もゾンビになる。
誰もが知るゾンビの特性はこの映画から始まったのだ。
そもそもゾンビとはブードゥー教の考えであり、ゾンビパウダーを使って人を仮死状態にして労働させるためのものであった。
今ではゾンビ映画といえば世界中であまねく製作されていて枚挙に暇がない。
これの意味するところはすなわち、ゾンビがクラシックモンスターの仲間入りをしたということだ。
クラシックモンスターとはいわゆる“説明する必要のないモンスター”のことである。例えば吸血鬼や狼男がそうだ。
先にも書いたゾンビの特性は誰もが知っている。その走りとなったのが本作だ。
さて、そんな映画史に残る作品の内容はどうかといえば、文句なしの傑作である。
どこからともなく現れ、人々を襲い、瞬く間に数を増やして人間に迫る様は現代社会のマジョリティー、フリーライダーに通ずるものがある。
地下で噛まれた子を匿う両親、その子どもに滅多刺しにされて食われる親。どうにも救いようがない。
私が印象に残っているのは地下に横たわる腐乱死体である。ストーリーの重要な鍵でもないし死んでいるのだから動きもしない。しかし一度見たら忘れられない強烈なインパクトを与えてくれる。60年代にこんな物が作れるのか!と心底驚いたものである。尤も、映画でこのようなグロテスクな映像に慣れていなかった当時の人々の驚きは計り知れないが。
↑全世界の良い子にトラウマを植え付けた問題児。よくやった。
↑「育ち盛りだからしょうがないよね~」
↑「こんな奴劇中にいたか?」とか言う奴から食われろ。
そして冒頭バーバラがゾンビに追いかけられて転ぶシーンがあるが、ホラー映画のお約束である「追いかけられると転ぶ」が出来たのもこの作品である。(そしてすぐには立ち上がらない。なぜなら逃げ切れてしまうからである。)
このシリーズが全世界にこよなく愛されている理由はタイトルが超coolなことも挙げられると思う。
Night of the Living Dead
死人の夜
↓
Dawn of the Dead
死人の夜明け
↓
Day of the Dead
死人の日
Day of the DeadのDayは“日”なのか“昼間”
なのかよく分からないが一貫して死人を物語の中心と考え、やがて世界は滅びるという暗示がタイトルから伝わってくるようである。日本では『死霊のえじき』
とかいうさっぱり意味のわからない邦題になったが。おそらく『死霊のはらわた(81)』の人気に乗っかったのだろう。
ちなみにThe Return of the Living Deadという映画も存在する。邦題は自分で調べてみよう。
なぜこんなタイトルがついたかはこの作品を紹介するときに預けることとしよう...
そんなこんなで世界中にゾンビの存在を知らしめ、今や伝説となった本作は一人でじっくりと見るか、ゾンビ好きの友達としっぽり見ることをおすすめする。
グロ★★☆☆☆
怖さ★☆☆☆☆
オチ★★★★☆
社会性★★★☆☆
総合評価/75点